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ちな@水野智苗

Author:ちな@水野智苗
◎声優・ナレーター水野智苗(みずのちなえ)のブログへようこそ!
◎ブログのURLで飛んでいる数字のページは、その日付のスペースだけを下書きとしてキープしてあります。本文入力次第、随時公開予定。
◎ちなみに宣材写真は古いものです。たまにブログ本文に出てくるケータイ写真との落差に引かないでください……。
◎本業=声優・ナレーター・朗読ナレーション講師
◎副業=オフィスワーク系(電話OP・OA事務等)または接客系(いろいろ)
◎「いつか必ず本業だけで食べていけるようになる!」と信じて頑張りすぎないていどに頑張る、永遠の27歳。(←こら!)

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背伸びしないと背は伸びないから

「背伸びしないと背は伸びない」
 今は亡き父の言葉だったりする。
 もっとも、わたしの極めておぼろげな記憶では、父が桐島洋子さんに言われた言葉だと聞いたような気がするんだけど、長崎県佐世保市在住会社役員だった父がいつどこで桐島さんにお目にかかったんだろ。出張のときかな。
 いやまあ、それはこの際どうでもいいんだけど。おぼろげなことこの上ない記憶だから、本当に発言者が桐島さんだったのかどうかもあやしいもんだし。
 ともかく、要するに、父が「自分は身の丈に合わない冒険ばかりしようとしてるんじゃないか」とほんの少し不安を感じていたときに、「背伸びするからこそ背が伸びるんですよ」と励まされた言葉、らしい。

 なんとなくこの言葉がわたしの中に残っていて、折に触れて思い出す。
 何か新しいことにチャレンジしようと考えているタイミングでそれを思い出すと、ついついうっかり後先考えずに実行に移してしまうことも、たまにある。
 本館サイトだけでもいっぱいいっぱいだったくせに、つい勢いで楽天広場に進出してしまったときのように……。

 本館とモバイル別館ですでに2つの日記を書き続けていたわたしは、楽天ではまったく違うスタイルの日記を書きたいと思った。
 政経時事ネタや創作作品などに関する感想をここでは主に書いていこうと考えたとき、ごく自然に「じゃ、文体はだである調で」と決まった。
 でも。いざ書き始めてみると、この文体がどうもしっくり来ない。わたしらしくない気がする。

 もしかしたら、親きょうだいや小中高校までの先生方の目には、むしろ「だである調」の文体ほうが「本名のわたし」らしく感じられるかも知れないな、とは思う。
 高校までのわたしはとにかく自分の気持ちをそのまま口に出して話すことが極端に苦手で、作文とか論文とか弁論大会の原稿とかでだけ、自分の思いの一端を吐き出すことができる子どもだったから。
 でも、少なくともこれまで楽天で書いてきた「気ままにコラム」は、「大学入学以降のわたし」らしくもなければ「水野智苗」らしくもない、という気がしてしょうがないのだ。

 背伸びしてみるつもりで始めた「気ままにコラム」だけど、気がつけば「背伸び」して「つま先立ちで歩いてる」とかじゃなくて、「手作りですらない借り物の缶ぽっくり履いて歩いてる」みたいな、妙なぎこちなさを感じてしまった。
 つまり、これはたぶん、「背伸び」の仕方を間違ったってことなんだろう。缶ぽっくり履いてるのは、背伸びとは言わないもんね。
 なんとなく無意識に体裁を整えようとしたことが敗因かな、と思う。

 わたしはプロのコラムニストでもないし、コラムニスト志望でもない。文章として完成された商品になりうる作品を書くことが、日記を書く目的じゃない。
 わたしの日記は、ひとつには自分の漠然とした考えや思いをより明確にまとめ上げるための手段だけど、もうひとつには、「わたしはこういうことを考えている人間です」という長い長~い自己紹介みたいなものかもしれないな、と今これを書きながら気がついた。
 だとしたら。
 なにもかための話題だからってかための文体で書くことないんじゃないの、いつもの日記と同じように勝手に自分の中からこぼれてくる言葉を書きとめればよかったんじゃないの? ……といまさら思った次第。

 背伸びしないと背は伸びない。高い台の上に乗って背が伸びた気分を味わっていても、いつまで経っても背は伸びない。
 というわけで、背伸びのやり直しをしてみよう。
 書こうとするテーマの選び方はこれまで通りに、もうちょっと自然に湧き出てくる言葉で書いてみよう。

 明日以降、「ちなの気ままにコラム」は仕切り直しで再出発、の予定。(ただし、相変わらず不定期更新だけど。)


※サイト趣旨変更のため、楽天ブログより転記。(2008/12/16)
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テーマ : エッセイ - ジャンル : 小説・文学

ごはんの炊き方 from 『発掘!あるある大辞典2』

 今日の『発掘!あるある大辞典2』のテーマは「ごはんの炊き方」。 (注:番組名の「2」はローマ数字が正しいのだが機種依存文字なので「2」と表記。) 
 主に、お米の保管場所・研ぎ方(洗い方)・吸水時間に注目して、お米の専門家のアドバイスを受けながら正しいごはんの炊き方を考える番組だった。

 俗に「十年一昔」と言うが、本当に十年経てば常識も変わるのだなと思った。
 今の市販のお米は、軽く濯ぐていどに洗えばいいのだという。「研ぐ」必要はないらしい。
 精米機の性能が、10年前と比べても格段に進歩しているから、ということのようだ。
 もっとも、我が家の場合、兼業農家である夫の実家から米をもらっており、その実家の精米機が10年以上前から変わっていないということなので、やはりきちんと研ぐ必要があると思われるのだが。

 お米は室温で保管すると夏場は精米から2週間しかおいしく食べられないとのことで、冷蔵庫で保管したほうがいいらしい。
 我が家でも、恐らくそうだろうと思っていたので、なるべく冷蔵庫に入れるようにしている。
 番組では、2kgのお米を買ってきてその日食べるぶんを1合以上取り除けば残りは2リットルのペットボトルに収まるので、ペットボトルに入れて冷蔵庫のポケットにしまうことを勧めていた。
 だが、はたして毎回2kgずつしか購入しない家庭がどのくらいあるのだろう? 一人暮らしならともかくとして。

 吸水時間は、わたしは30分から1時間と思いこんでいたのだが、「2時間以上」が正解だったらしい。
 2時間あればお米全体に水分が行き渡り、その結果、熱も均等に伝わるので、甘く美味しく炊けるという。
 30分ていどだとほとんど表面の部分にしか水が浸透しないのだそうだ。

 なお、最近の炊飯ジャーは「炊飯」から「保温」に切り替わった時点ですでに「蒸らし」まで終了しているので、「保温」になった瞬間に蓋を開けてかき混ぜ、余分な水分を飛ばしたほうがよい、ということだったのだが、最近のではなく十数年前に買った炊飯ジャーの場合はどうなのかということを知りたかったのは、わたしだけだろうか?
(我が家の炊飯ジャーはわたしが大学に入って一人暮らしを始めたときに買ったものなので、すでに15年目に突入している。)

 ごはんの炊き方は(少なくともわたしの頃には)、小学校5年の家庭科の授業で一番最初に教わった。
 もちろん、それ以前に家庭で母親から教わってもいた。
 たいていの人はその最初に教わったやり方のまま、何十年も同じやり方を続けているのではないだろうか。
 実は、「ごはんの炊き方」というテーマを聞いたときには、それほど興味が持てなかった。
 どちらかといえば、「今までまったく知らなかったこと」や「自分には関係がないと思って素通りしていたこと」について教えてくれるほうが面白いと思ったのだ。
 だが、こんなふうに、「誰もが正しいという自信はないまま覚えていたようなこと」や「常識のほうが変化しているようなこと」についてあらためて教えてくれる番組も確かに必要だなあというのが、番組を見終わったあとの感想だった。

 ただ。お米の専門家集団を「米ンテーター」と呼ぶそのネーミングのセンスだけは、いかがなものかと……。


※サイト趣旨変更のため、楽天ブログより転記。(2008/12/15)
 この頃はまさかこの番組がやらせ問題で終わりを迎えるとは思いもよらず、毎週けっこう楽しみにしていました。

テーマ : フジテレビ - ジャンル : テレビ・ラジオ

本当に大切なこと(小6女児が同級生を…… その2)

たった二つの大切なこと

 おとといの日記を書いた時点では、まだ事件とは断定できない状況だったので、できれば事故であって欲しいと願っていた。
 だが加害女児は殺意があったことを認めているという。
 インターネットの自分の掲示板に不快な書き込みをされて殺意を抱き、テレビのミステリードラマを参考に犯行を思いついたと。
 あまりにも短絡的で、悲しい。
 彼女の中に、人の(あるいは生き物の)死というものは、どれだけの実感を持って捉えられていたのだろうか。
 本来、殺意を抱くこととそれを実行することのあいだには、相当の距離があるはずだが、彼女はどうしてその距離を簡単に超えてしまったのだろう。

 インターネットが悪いわけではない。ミステリードラマが悪いわけでも、カッターナイフが悪いわけでもない。
 すべては人の受け止め方次第、用い方次第だ。
 そして世の中には、毎日どんどん「新しいもの」が生まれて、あふれ出してくる。
 その「新しいもの」を使いこなしたことのない親には、その使い方を子どもに逐一教えてやることはできないだろう。
 だが、本当に大切なことを教えることさえできていれば、子どもはちゃんと自分で正しい使い方を判断できたのではないか。
 そう思うと、本当に残念でならない。

「人を殺めてはならない(なぜなら決して取り返しがつかないからだ)」
「自分がされて嫌なことは人にもしてはいけない」
 たった二つの、本当に大切なこと。
 それさえ子どもたちに伝わっていれば。

死に別れの痛み

 わたしが初めて身内の死に接したのは高校時代のことだから、小学生の彼女が人の死を実感した経験がなくても仕方がないと思う。
 だが少なくともわたしときょうだいは、幼稚園児の頃からペットの猫の死を何度も経験していた。

 捨て猫を見つけるとどうしても素通りできなかったわたしと妹は、しばしば猫を拾って帰った。
 捨てられた猫は、すでに相当弱っていることが多い。
 わたしたちが拾った猫は、どんなに心を込めて世話をしても、ほとんどが三日以内に力尽きた。
 動かなくなった猫の頭を撫で続け、やがて冷たくなったその子のために泣きながらお墓を作ったことは、一度や二度ではない。
 親は、その別れが辛いからと言ってわたしたちが猫を飼うことに反対していたのだが、一度拾ってきた子猫を勝手に捨ててくるようなことはしなかった。そうしてその死に別れの痛みを経験させてもらえたことが、わたしたちのためには本当によかったと思っている。

 わたしも(自分自身をも対象に含めて)殺意を抱いたことがないとは言わない。
 だが少なくとも小学校高学年以降、本気で自殺や殺人を企てなかったのは、なによりもそれが「決定的に取り返しのつかないこと」だということが、よくわかっていたからだ。
 電池を入れ替えて電源を入れれば元通り、などというものではないことを、切実に経験していたからだ。

 犬や猫や兎といった哺乳類のペットを飼えない環境の家庭でも、たとえばカブトムシのような昆虫や小さな金魚などの小動物を飼うことはできるだろう。(もちろん、できればその命の温もりが伝わる哺乳類や鳥類のほうがより望ましいのは確かだが。)
 限りある命を持ったものを慈しみ、そののちにその存在を失う経験は、そのときには辛いものだが必ずあとで活きてくるはずだ。

成績よりも社交性

 わたしの両親は二人とも社交的なタイプだったこともあって、「人付き合い」というものに重きを置いていた。
 小学校低学年で、体育だけが3段階評価の「ふつう」、あとの科目がすべて「よい」という評価の通知票を持って帰ったとき、両親はわたしを褒めずに叱った。
 生活評価の「ともだちにしんせつにできる」という項目に△がついていたからだ。
 特に目につくことがなければ無印で、良いときに○、劣っているときに△がつくシステムであるから、わたしは、ほかの児童と比べて極端に「ともだちにしんせつにでき」ないと評価されたわけである。
「勉強がいくらできたって、友達と仲良くできないようでは意味がない」
 父も母も口を揃えてそう言った。
「自分がしてもらって嬉しいことを、友達にもしてあげる。自分がされて嫌なことは友達にもしない。簡単なことだろう」

 実はわたしは幼稚園時代からいじめられっ子で、小学校に上がってからもずっといじめられていたため、クラスの中でも孤立した存在だった。そのことが、担任の目には人付き合いのできない子どもと映ったのだろう。
 この日、担任ばかりでなく両親にも自分の苦しみを理解してもらえないと知ったわたしは、それ以降、高校を卒業するまで、基本的には心を閉ざしたままの少女時代を送ることになってしまった。
 だがそれでも、「学校の成績なんかよりも人間関係を良好に築けることのほうが大事だ」と教えてくれた両親は偉かったと思う。

取り返しのつかない命のために

 少年審判の限界はあるだろうが、どういった経緯でこの事件が起こったのか、それをなるべく詳細に明らかにして欲しいと思う。
 まずそこから、今後に向けての取り組みが始まるはずだから。
 こののち何が起こっても、消えてしまった御手洗怜美さんの命は戻らない。
 だが、今後同じような事件を起こさせないためにわたしたちにできることが、きっと何かある。
 怜美さんのご冥福を心から願いつつ、その「わたしにできる何か」を真剣に考えていきたい。


※サイト趣旨変更のため、楽天ブログより転記。(2008/12/15)

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小6女児が同級生を……

 小6女児が同級生をカッターナイフで切りつけ、切られた女児が死亡するという事件が、わたしのふるさと、長崎県佐世保市で起こった。
 第一報を聞いた瞬間、あまりのショックに涙が出て、体が震えてきた。

 そもそも事故なのか事件なのか、事件だとすれば動機はなんだったのか、そういったことは現段階ではほとんどわかっていない。
 せめて事件の全容を解明し、再発防止に役立ててほしいと祈るばかりだ。

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 そんなふうに泣きながら震えているときにも、そういう自分を冷静に観察しているもう一人の自分がいる。
 その冷静なほうの自分が気づいたこと。

 今までにも数々の小中学生によるショッキングな事件が起こって、そのたびに胸を痛めてきたはずだったが、ここまで衝撃を受けたことはなかった。
 たとえ自分の出身小学校ではなくとも、自分の故郷で起こった事件というのはそれだけ特別で、自分にとって切実なのだ、と思い知らされた。
 それはつまり、これまでの事件に対しては、やはりどこか「他人事」と感じていたのだ、ということをも意味する。

 最初にテロップで、同級生に切られた小6女児が死亡したのだと知ったときの衝撃と、その次にキャスターの声でそれが長崎県佐世保市で起こったとき事件であると知ったときの、何倍も激しい衝撃とを、決して忘れまいと思った。


※サイト趣旨変更のため、楽天ブログより転記。(2008/12/15)

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