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2009/11/25からカウント開始♪
2006/09/01から2009/11/24までのカウントは不明★

プロフィール

ちな@水野智苗

Author:ちな@水野智苗
◎声優・ナレーター水野智苗(みずのちなえ)のブログへようこそ!
◎ブログのURLで飛んでいる数字のページは、その日付のスペースだけを下書きとしてキープしてあります。本文入力次第、随時公開予定。
◎ちなみに宣材写真は古いものです。たまにブログ本文に出てくるケータイ写真との落差に引かないでください……。
◎本業=声優・ナレーター・朗読ナレーション講師
◎副業=オフィスワーク系(電話OP・OA事務等)または接客系(いろいろ)
◎「いつか必ず本業だけで食べていけるようになる!」と信じて頑張りすぎないていどに頑張る、永遠の27歳。(←こら!)

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仏の顔は一度までに

 清水健太郎容疑者が覚醒剤取締法違反で逮捕された。なんと、4度目の逮捕だという。
 ニュースでは「さすがに4度目の逮捕なので芸能界復帰は絶望的」というような伝え方をしていたが、そもそも3度も逮捕された時点で芸能界に復帰させてはいけなかったのではないか、という気がして仕方がない。

 わたしは、芸能人が聖人君子でなければならないなどとは、もちろん思わない。
 というより、聖人君子の芝居や歌など面白くもおかしくもないだろうと思う。
 しかし、芸能人でなくとも法に触れる行為を繰り返すことは許されるべきではないし、マスコミに登場することで社会的に大きな影響力を持ちうる芸能人場合は尚更だろう。

 魔が差すということは、確かにあるのかも知れない。
 だから、たった一度の過ちならば、本人が心から反省し、きちんと罪を償うなり社会的制裁を受けるなりしたあとには、周囲があたたかく復帰を見守ってもいいと思う。
 一度つまずいたことで見えてくるもの、わかってくることもあるのだろうから。
 だが、犯罪行為が何度も繰り返されたときに、その人物が芸能界に復帰することを安易に許してしまっては、その犯罪行為を軽く見る風潮を作り上げることにつながりかねない。

 かつて、「芸能人の中には、芸能以外の仕事に就けない、芸能界で生きていくことしかできない人もいるのだから、そういった人に対して芸能界復帰の道を閉ざすことは、死ねと言うのと同じことだ」という主張を、テレビ番組か何かで耳にしたことがある。
 だが、たとえば一般人の会社員などの場合、勤続何十年でどれほどその仕事一筋で生きてきた人物であっても、逮捕された途端に(あるいは有罪が確定した時点で)問答無用で解雇されるだろうし、その人物に職場復帰が許されることなどないだろう。
 芸能人だからといって甘やかされていいはずはない。

 何も覚醒剤取締法違反に限ったことではないが、芸能人の犯罪行為に対して周囲が大目に見るのは、一度限りのこととするべきだと思う。


※サイト趣旨変更のため、楽天ブログより転記。(2008/12/15)
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テーマ : 芸能界のニュース - ジャンル : アイドル・芸能

バレーボール世界最終予選で思ったこと

 本館「なんでも日記」をお読みの方ならご存じの通り、今回のバレーボールオリンピック世界最終予選の女子の大会を、わたしは毎試合かなり楽しみにしていた。
 それが男子になった途端、結局最後まで「なんでも日記」で一度もこの大会に触れなかったのは、男子の試合を観なかったからではない。
 今日の最終戦まできちんと見守ってはいたのだが、どうも観るとストレスの溜まるような試合が多かったからだ。

 今日の番組の中で、解説者が言っていた。「優勝しようと思えばできた大会だった」と。
 確かに素人目で見ても、ほかのチームにどうしてもかなわないというほど実力の差があるようには感じられなかった。
 ではなぜたった2勝しかできず、オリンピック出場権を逃すことになったのかと言えば、恐らく、あまりにもミスが多すぎたからだと思う。

 とにかくサーブミスやスパイクミスが多かった。
 特に、流れの中のスパイクミスはともかく、狙いすぎたサーブがネットにかかったりオーバーしたりということが、重要な場面でも何度も繰り返し見られたのが残念だった。
 野球でピッチャーがフォアボールを連発していれば勝てるはずがないのと同じことで、サーブが入らずに相手に得点を献上し続けていれば、勝てるわけがない。
 さらに、ミスが続けばチームの士気も落ちる。
 試合の流れを左右しかねない局面ではとにかくきちんとサーブを入れることを意識して欲しかったなあ、と、テレビの前の一ファンとして感じた。

 今回の日本男子チームの全試合を観ていてしみじみ思ったのは、バレーボールに限らずスポーツに限らず、何事かを成す場合においてまず大事なのは、つまらないミスをして自滅しないことなのではないか、ということだった。
 もちろん、戦略も大事だろう。戦術も大事だろう。
 プレッシャーに打ち勝つ精神力も、ともに事に当たる仲間とのチームワークも必要だろう。
 だが、大前提としてなくてはならないのは、つまらないミスをしないための基礎訓練なのではないだろうか。
 当たり前のことを当たり前にできる基礎がなければ、その上に何かを積み上げていくこともできないのだ。

 声優・ナレーターという職業で言えば、「いつでも必要なボリュームの声が出せる」「滑舌が明瞭である」とか「台本の読み間違いをしない」というような、本当にごく初歩的なことだ。
 聞こえないセリフや聞き取れないナレーションでは、例え表現技術を持っていても受け手には何も伝わらないだろうし、そもそも台本を読み違えていたのでは、間違ったメッセージを伝えてしまうことになるのだから。

 こういった基礎的な技術は、一度身につければそれでもう一生大丈夫、という性格のものではない。
 使わない技術はやはり衰えてゆくのだ。
 レギュラーの座を確保できなかったスポーツ選手がたまに試合に出してもらってもなかなか活躍できないのと同じことで、毎日毎日スタジオに入って仕事をしているのでない限りは、みずから心がけて基礎訓練を繰り返していなければ、いざ本番となったときに満足な結果を出せなくなる危険性が高い。

 無論、さらにそれ以前の大前提は、「無事これ名馬」ということだろう。
 怪我や病気のスポーツ選手が試合に出してもらえないのと同じように、体調を崩して声が嗄れたり鼻声であったり、スタジオに通えないほどの病人であったりするような声優・ナレーターに、仕事は来ない。
 まずは健康管理、次に基礎訓練。その上にさまざまなオプションを積み上げてゆく、ということになる。

 わたしは、昨年度は心身共に健康面にやや不安があり、その結果レッスンも休まなくてはならなくなってしまった。
 今年度は「いつでも試合に出られ、かつノーミスで実力を発揮できる選手」であるために、日々の健康管理と基礎訓練を大事にしなければならないと、肝に銘じている。


※サイト趣旨変更のため、楽天ブログより転記。(2008/12/15)

テーマ : バレーボール - ジャンル : スポーツ

日朝首脳会談に失望

 とりあえず17時30分現在でわかっている限りの情報で判断すると、今回の日朝首脳会談には失望したと言わざるを得ない。

 地村夫妻と蓮池夫妻の家族の帰国が決まったことは喜ばしいが、10人の安否不明者に関して、これから「再調査をするよう命じる」とは何事だろう。
 わたしは、総理があれほど自信満々の表情で訪朝するのだから、すでに再調査が行われていてその結果を持ち帰る目処が立ったからこその、今回の訪朝だと思っていたのだ。
 
 結局のところ今回の成果らしい成果といえば、日朝平壌宣言の再確認、前述の拉致被害者家族5人の帰国決定、曽我氏とその家族の北京における再会決定、核問題での若干の前進、くらいなのではないか。
 それで日本からの人道支援の約束を取り付け、経済制裁を発動しないという言質を得たのだから、北朝鮮サイドとしては非常に満足のいく成果を上げたと言えるのだろうが。

 これでもし、「安否不明者10人について再調査したが、結果は前回と同じ」という回答がもたらされた場合、日本はどう反応するのだろう。
 日朝平壌宣言の精神を誠実に履行していない、として、経済制裁を科すほどの覚悟が、日本政府にあるだろうか。
 ようやく家族と再会できる地村夫妻と蓮池夫妻の気持ちを思えば、「何もしないほうが良かった」とは言えないが、少なくとも総理が直々に出掛けていった結果としてはあまりにも残念な成果だと思う。


※サイト趣旨変更のため、楽天ブログより転記。(2008/12/15)
 もう忘れてらっしゃる方も多いと思うので書き添えておきますが、このときは森前首相(当時)等の発言から、「家族8人全員の帰国が最低ライン」という、かなり国民の期待値を上げたうえでの訪朝でした。
 だからこういう日記になったので、決してご家族5人の帰国を喜ばなかったわけではありません。

テーマ : 気になったニュース - ジャンル : ニュース

テレビ&ケータイ世代のオンとオフ

 いささか古い話だが、小泉総理が若手議員に対して議場での携帯電話使用などについて苦言を呈した、というニュースがあった。

 このニュースを伝える番組の中で、実際に議場内で撮影された映像が流れた。
 携帯電話で会話をする者、メールを打つ者、ウェブ上の情報をチェックする者、そしてゲームに夢中になる者……。
 高い歳費をもらっている癖に神聖な職場で何をやっているのか、と言わずにはいられないような有様だった。

 携帯電話が普及する以前から、たとえば大学の講義や会社の会議などで講義中や会議中であるにもかかわらず平気で私語を繰り返す若者がいる、ということが問題になり始めていた。
 わたしはそれを、テレビが自宅にあることが当たり前という環境で育った世代ゆえの問題ではないかと思っている。

 最近の研究で2歳までの乳幼児にはテレビ・ビデオの視聴を控えたほうがよいことがわかっている。
 テレビは話しかけても返事をしてくれない。
 乳幼児期から一人でテレビ・ビデオを長時間視聴していた子どもはコミュニケーション面に問題を生じる確率が高いそうだが、恐らくそれは乳幼児に限ったことではないだろう。

 返事をしてくれない、ということは、逆に言えば、テレビの前でテレビの中の人物に対してならどんなことでも言える、ということでもある。
 相手にそれが聞こえて自分が咎められることなど、決してないからだ。
 目上であっても社会的地位が高くても強そうでも怖そうでも、テレビの前からならどれほど貶してもどれほど馬鹿にしても、自分の不利になることはない。
 もちろん、食事をしながら、電話をかけながら、片手間で何か別のことをしながらテレビを見たところで、テレビは決して文句を言わない。
 つまらなければ我慢して見る必要はなく、チャンネルを変えるかスイッチを切るかすればよいだけである。

 食事中にはテレビを消し、テレビを見るときには親が一緒にいて番組についての感想を話し合う、というようなテレビ・ビデオの視聴の仕方をしていれば、おそらく問題はないだろう。
 だが、一人でテレビ・ビデオを長時間視聴する、あるいはテレビゲームに長時間のめり込む、ということが当たり前だった子どもは、「テレビ画面の中の世界」に対して何をしてもよい「テレビの前の自分」、という関係性を、日常生活にも持ち込んでしまうのではないか。

 大学の講義中に平気で私語をしたり関係のない別の本を読んだり、あまつさえ食事までしてしまったりするのは、講師の側からも自分が見えている、という単純な事実に気づいていないからだ。
 通学電車の床に輪になってべったりと座り込む中高生がいるのも、満員の通勤電車の中で食事をしたりメイクをしたりする若者がいるのも、同じことだろう。
 自分にとって気にならないもの、自分が見たいと望まないものは、彼らにとってはそこに存在しないのと同じ、電源を切ったテレビの画面と同じなのだ。

 しかも携帯電話の普及によって、人々は「自分が望むときにだけ他人とコンタクトを取る」というやり方に慣れてしまった。
 電話に出たくなければ出なくても留守番電話が対応してくれる。
 自宅の電話ではないから、家族が取って取り次がれてしまうということもない。
 メールも、お互いに好きなときに送信し、好きなときに返信すればいい。
 インターネットのメールやチャットなども同じことで、通信をオンにするかオフにするか、それはあくまでも個人の自由なのだ。

 国会議事堂の本会議場の中で、休憩中でもないのに人の話を聞きもせず携帯電話のゲームに熱中してしまうような国会議員は、恐らく「国会議員として仕事をする自分」のスイッチをオフにして、「ゲームを楽しむ自分」のスイッチをオンにしてしまっているのだろう。
 それが許される場合かどうかなどとは考えもしないで。

 公の場での自分とプライベートの自分、職場での自分と家庭での自分、仕事の日の自分と休みの日の自分など、スイッチを切り替えること、オンとオフを使い分けることは、大切なことだ。
 だが、その切り替え方、使い分け方は、一般常識に照らして判断すべきもので、どんなふうにでも自分の好きなときに好きなようにしてよいというものではない。
 職務を疎かにすることや周囲の人間に不快感を与えることは、決して「個人の自由」として許されることではないのだから。

 学生のうちならばまだしも、いい大人になって社会に出てしまった者に対して、誰がその判断基準を教育できるのだろう。
 結局は本人の自覚次第、ということになってしまうと、状況は悪化するばかりなのではないかと思えて、心配でならない。


※サイト趣旨変更のため、楽天ブログより転記。(2008/12/15)

テーマ : 気になったニュース - ジャンル : ニュース

肉声の重み

 長く膠着状態の続いていた宇都宮の立てこもり事件が終結した。

 今日、「報道ステーション」(EX)を見ていて、容疑者の肉声を初めて聞いて、少し驚いた。
 警官隊突入3時間前に30分間おこなわれたという電話インタビューにおける死亡した容疑者の話し方が、それまでに抱いていた容疑者のイメージとはかけ離れていたからだ。
 過去に覚醒剤を使用しての立てこもり事件を起こしたことがあるという報道があったので、実は、今回もおそらく覚醒剤を使用しているのだろうと勝手に推測しており、警察とのやりとりでも支離滅裂なことを言っているのではないかという思いこみを持っていた。
 それだけに、こんなふうに比較的きちんと話をする人だったのか、と意外に思ったのである。
 ニュースにおいて、伝聞で、箇条書きのように伝えられる容疑者の要求を聞いて思い描いていたのとは、あまりにもイメージが違った。

 容疑者の言い分がすべて正しいとは、もちろん限らない。
 だが、警官のほうが先に発砲し、しかも威嚇射撃ではなく明らかに容疑者の胸より上を狙っていたことや、容疑者のほうは撃たれたから撃ち返したのであり(まず銃を所持していたこと自体が犯罪なのだが)、あくまでも警官の足下に向けて発砲したのであること、テレビで報道されている内容が間違っていることに怒りを覚えており、警察が先に発砲した事実を認めない限り立てこもりを続ける覚悟であることなどを、感情的になることもなく落ち着いて話し続けたその声には、それなりの説得力があった。
 こうしたものがテレビで放送された以上、この事件に関わった神奈川県警・栃木県警・警視庁は、事件の経緯について国民に納得のいく説明をしなければならないだろう。

 それにしても、肉声のあるなしでこれほど事件に対する印象が変わるのだということに、改めて気づかされた事件だった。
 活字や伝聞のコメントだけでは、とくにこういう警察発表以外に事件の推移を知りようがないような事件の場合は、警察側からの見方でしか、事件を捉えられなくなってしまいがちだ。
 今回の事件は音声のみだったが、報道における映像や音声の重要性やその意義を、強く再認識させられた。


※サイト趣旨変更のため、楽天ブログより転記。(2008/12/15)

テーマ : 気になったニュース - ジャンル : ニュース

岡田新代表誕生

 すでにいろいろな方が同じような内容の日記を書いておいでだろうと思うので、今さら書くと人まねに見えそうでなんとなく気が引けるのだが、ここまでの途中経過を書いてきた手前、わたしも一応書いておく。

 民主党の新代表は、いったんは決まりかけた小沢一郎氏が強制加入前の国民年金未加入を理由に辞退したことから、結局、前幹事長の岡田克也氏に決定した。
 右に左によく揺れる党だ、という印象を持つのはわたしだけではないと思う。

 小沢氏が代表戦への立候補を引き受けた時点で、実はかなり意外に思った。
 現時点で代表に就任すれば参院選までで使い捨てにされる恐れがあることは誰の目にも明らかだろうに、あの小沢氏がよく引き受ける気になったものだ、と。
 それだけに、辞退という流れになったときには、意外というよりむしろ当然という気がした。

 小泉総理が「政治責任はない」と言い切った、強制加入以前の未加入を辞退の理由としたことで、福田前官房長官が菅直人前民主党代表と刺し違えたのと同様に、小泉総理との刺し違えを狙ったものではないかとの見方もあるが、どうだろう。
 運良く刺し違えられれば儲けもの、というぐらいのことは考えているかも知れないが、それを主たる目的としての辞退ではないと思う。
 現時点での代表就任は時期尚早と感じていた小沢氏が辞退の理由を探していたところに、ちょうどいい理由が降ってきた、ということなのではないだろうか。

 自民党の細田官房長官が「強制加入以前のことだから小沢氏は辞退する必要はないし、小泉総理にもまったく問題はない」という趣旨の発言をしていたようだが、では強制加入以降の未納・未加入の閣僚はどうなるのだろう?

 事態がここに至った以上、本来なら、未納・未加入のあった総理や閣僚らは全員その役職を辞してけじめをつけ、もう一度その制度の根本のところから年金改革の論議をやり直すのが筋だと思う。
 だが、今週末の小泉総理の北朝鮮訪問が一定の成果を上げた場合には、そういった話はきっとうやむやにされてしまうのだろう。
 もちろん国民の一人として拉致問題や核問題の進展はわたしも強く望んでいるが、それがこうした政局に利用されるということがなんとも歯痒い。

 逆に言えば、こういった切り札を使えるのが政権与党の強みであって、だからこそ野党第1党は本気で政権奪取を目指すべきなのだということが改めて明らかになったと言えなくもない。
 民主党が逃げ腰になって与野党間での激しい政策論争をきちんと行わなければ、今度の参院選で投票率の史上最低記録を更新することになってしまうだろう。
 岡田新代表には、まだ総理になる準備ができていないなどとは言わずに、ぜひともその覚悟を決めて参院選を戦って欲しい。
 その成り行きをしっかり見守って、わたしの1票を投じる先を決めたいと思う。


※サイト趣旨変更のため、楽天ブログより転記。(2008/12/15)

テーマ : 気になったニュース - ジャンル : ニュース

働かない若者と心の病

 今日の産経新聞に、「働かない若者ニート10年で1.6倍」という記事が載っていた。
 親に“寄生”して就職もしないニート(NEET=無業者)と呼ばれる若者が平成15年で63万人もいるというのだ。

 わたしは大学を卒業してから結婚するまでのあいだ、いわゆるフリーターだった。
 実は大学院を受験するつもりでいたのだが、家庭の事情で妹が高校を卒業するまでの数年だけでいいから地元に帰ってきて就職して欲しいと父に頼まれ、就職先はこちらで決めておくからと言われたため、受験も就職活動もしなかったのだ。
 それが2月も終わりの頃になって、恋人(現夫である)もいることだし無理に帰ってこなくてもいい、そちらで自分の好きなことをするように、と突然言われた。
 大学院の受験も就職活動もすっかり終わっている時期のことである。
「わかった。好きなことをする」
 どこでもかまわないと思えばその時期でもまだ入れる会社は確かにあった。
 だがわたしはそのとき、大学院進学とどちらを選ぶかぎりぎりまで迷っていたもうひとつの夢を取ることに決めたのだ。
 わたしはフリーターとなって、とりあえず最初の半年間は学費を稼ぐことに専念し、その年の10月からナレーター・声優を目指してレッスンを始めたのだった。

 そんな事情だったので、大学まで出してもらってフリーターになったということについて、親に対する罪悪感はあまりなかったのだが、世間に対する後ろめたさは強く感じていた。
 一番多いときには、平日は3つのアルバイトを掛け持ちして1日12時間働いたりもしていたが、それでもアルバイトで生計を立てているというのは、きちんと就職して働いている人々より一段劣るもののように思えたのだ。
 もとより一般的に虚業と見なされがちな芸能の世界を選んだ人間は少なからず正業に就いている人々への劣等感を抱いているものだが、当時はまだ「目指している」段階で本当にその世界に潜り込めるかどうかすらわからなかったのだから、なおさらである。 

 しかし10年が経った今、叶えたい夢があってそのために就職せずフリーターであることを選ぶのなら、それはそれで結構なことではないか、という時代になってきた。
 何しろ、アルバイトもしない、今していないだけでなく今後もする気がない若者が、世間にあふれているのだから。

 NEETは4つのタイプに分類されるらしい。
 1.ヤンキー型……反社会的で、享楽的。「今が楽しければいい」というタイプ。
 2.ひきこもり型……社会との関係を築けず、こもってしまうタイプ。
 3.立ちすくみ型……就職を前に考え込んでしまい行き詰まってしまうタイプ。
 4.つまずき型……いったんは就職したものの早々に辞め、自信を喪失したタイプ。

 1.に関しては論外だと思う。
 親がこういう子供を甘やかしたり、あるいは恐れたりするからいけない。
 特殊な事情がある場合を除いて、少なくとも22歳を過ぎて実家にいる子どもには家賃や食費を入れさせるべきだろうし、それを払わない子どもは容赦なく追い出すべきだ。
 それが、長い目で見れば子どものためになる。

 だが、2.3.4.に分類される中には、たんに本人の心の持ちようではどうにもならない若者も少なからずいるのではないかという気がする。
 病気や怪我で働けないのは仕方のないことだが、治る病気を治す努力をしないのであれば問題だ。
 無論この場合の病気には精神面に関するものも含んでいる。

 わたし自身、1年ほど前から自分がおかしくなりつつあると感じていた。
 何もかも投げ出したくなる。
 何に対しても、ではないが、ほとんどのことに対してやる気が起きない。
 そしてやる気の起きることについても、そのやる気が長時間持続しない。
 あまりにも疲れやすすぎ、その疲れがいつまでも取れない。
 眠れない。眠りが浅い。
 いつも不安感が消えない……。

 このままでは取り返しのつかないことになりそうだと思った去年の10月、アルバイトをやめ、本業関係のレッスンもすべて休み、主婦業に専念してみることにした。
 自宅にこもって、食事のための買い物に出る以外は夫同伴でなければほとんどどこへも出掛けないような状態で、半年間を過ごした。
 家事だけは完璧にこなし、あとは、本を読んだり、発表するあてもない文章を書き綴ったり、歌を作っては歌ったり、ホームページの更新に力を注いでみたり、そんなことばかりしていた。
 夫の理解があったからこそできたことだ。

 はじめから、期限は最大半年と決めていた。
 半年のあいだ心と体をゆっくり休ませてみてそれでも気持ちが前向きにならないようだったら、そのときは専門家を頼ろう、精神科にかかってみようと。

 そうして入った「休養期間」が3ヶ月を過ぎた頃から、心がうずうずと動き出した。
 何もせずにいることがもどかしくてたまらなくなってきたのだ。
 そう感じ始めた頃から少しずつ一人で外出する機会を増やした。
 そしてようやく一人で人混みの中に混じってもどうやら大丈夫だと思えるようになったので、今年の4月からまず朗読のレッスンを再開したところである。

 働く気力をなくしている若者も、ていどの軽い場合には、わたしのように家族の理解があってうるさく責め立てられない状況で少し休むことができれば、比較的短期間で気力を取り戻せるかも知れない。
 しかし、あるていどの時間をかけても回復できない場合には、カウンセラーや精神科医の手を借りることも必要だろう。
 無論、何らかの内臓疾患から来る疲労感ということもあるのでまずは内科の受診が先であるが。
 最近は慢性疲労症候群のように、精神疾患でもなくかといって検査では肉体に異常が見られない、という病気も見つかっていることでもあり、注意が必要だ。

 この問題に関しては、放っておいても時間が解決するというようなものではないように思う。
 周囲が彼や彼女に対してどれだけ心を配れるかどうかが鍵になるような気がする。
 記事では対象となる「若者」の年齢を、15歳から34歳としていた。
 彼や彼女が働けない原因が、心にあるのか、体にあるのか、それは病気として治療しなければならないものなのか、本人と周囲とがきちんと見極めて早めに対処しなければ、社会から離れている時間が長くなり、年齢が高くなるほど、解決は困難になるに違いない。
 非行などの場合、親は「育て損なった」という非難を恐れて、あるいは自責の念から、自分たちだけの力で何とかしようとして、深みにはまってしまうケースがあるようだ。
 NEETの問題でも、周囲に隠そうとすることが事態を悪化させることがあるのではないか。
 まずは現にある問題から目をそらさないこと、そして必要だと思えば外部の、ことに専門家の手を借りることをためらわないことが、重要だと思う。


※サイト趣旨変更のため、楽天ブログより転記。(2008/12/15)

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人の振り見て我が振り直せ

 いずれこういうニュースを聞くことになると思っていた。
 各局看板ニュース・情報番組のキャスター陣の国民年金未加入・未納が続々と発覚している件だ。

 国民年金の未加入や未納は、もちろん反省すべきことであり責められて仕方ないことでもあるのだが、しかしそれだけであれば、福田前官房長官も菅前民主党代表も辞職しなければならないほどの問題では、本当はなかったはずだ。
 江角マキコ氏の未納問題が発覚した時点できちんと調査を行ったりそれについてきちんと対応したり、ということができていなかったから、ここまでの騒ぎになってしまったのである。

 江角氏は会社員であり厚生年金の加入者であった時期があり、会社を辞めたあとに国民年金への切り替えの手続きを怠ったために、未納状態となっていた。
 同じような経歴を持つ国会議員は多いだろうに、なぜそのときに自分はどうかということを考えなかったのだろうと、政治家の未納・未加入が相次いで発覚したときに思った。

 局アナからフリーになった経歴を持つ人が多い各局キャスターも、同じことである。
 江角氏のとき、未納閣僚3名の発表のとき、菅氏の発覚のとき。
 いくらでも、「自分は大丈夫だろうか」と我が身を振り返る機会はあったはずではないか。
 自分のことを棚に上げてはいけないのは、何も政治家に限ったことではなかろう。

 わたしは最初にこの話題を取り上げた5/2の日記(「国民年金未納問題」)に書いたとおり、免除申請を行った年はあるが、未納のままにした年はない。
 記憶に自信があるため社会保険庁に問い合わせて確認したわけではないが、 あの当時は未納を許さない姿勢での取り立てがあったので、そもそも未納のままでいることが許されなかったのだ。
 わたしは、たかが日記とはいえ公開されている場でこの話題を取り上げる以上は、自分はどうであるかということに触れないのは無責任だと思ったから、まずそれを書いた。
 日頃わたしも尊敬しているキャスター陣にその見識がなかったことを、残念に思う。

 人の振り見て我が振り直せ。
 古くから伝えられてきた言葉は、素直に聞いておくものである。


※サイト趣旨変更のため、楽天ブログより転記。(2008/12/15)

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説得力ある話し方

 民主党の新代表が、どうやら小沢氏ということで決定したようだ。
 知名度があり、潜在的な人気も実はそこそこ持っており、元々は自民党の出身だけに自民党のやり方も熟知してる。
 自民党にとっては、一番なって欲しくない人物に決まったのではないだろうか。

 わたしはいわゆる「無党派層」に含まれる一人だと思うのだが、民主党全体はともかく、小沢氏のことは高く評価している。
 過去に一度だけ間近で小沢氏の演説を聴く機会があったのだが、その時の小沢氏の話しぶりがあまりに見事だったからだ。
 論旨が明快なのはもちろん、声の強弱や高低の使い方、間(ま)やテンポまで、これぞ演説のお手本という感じだった。

 政治家にとって、少なくとも政治の中枢で活躍しようという政治家にとって、演説の旨さは必須項目だと思う。
 だが、テレビで国会の中継や会見のようすなどを見ている限り、最近は喋りの下手な政治家が増えてきたような気がする。

 討論下手、では必ずしもないようだ。
 相手の発言を遮り、キャッチコピーになりうる印象的なひとことを交えて自分の意見をぶつける、そういうことは得意のように見える。
 だが、自分一人が注目されて話をする場面になると、急にもたもたしてしまう政治家が多いのはなぜなのだろう。

 そろそろきちんと説得力ある話し方のできる若手の政治家が現れてくれないと、若者の政治離れに歯止めはかからないのではないか。
 もちろん演説だけうまくて中身がないのは困るのだが、与野党を問わず若手の政治家には、ぜひ演説術についても勉強して欲しいと思う。

 もっとも、わたし自身もフリートークをやや苦手としていてまだまだ勉強中の身なので、あまり人のことは言えないのだが。


※サイト趣旨変更のため、楽天ブログより転記。(2008/12/15)
 この頃の小沢さんには、結構本気で期待していました。

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考えること・感じること~楽天日記を始めたわけ~

 11日の日記(「PL法と警告文と思考力と想像力」)に対していただいた感想にレスを書いていて思ったことを綴ってみる。

 思考力や想像力の低下という問題を、わたしは他人事として書いたわけではない。
 自戒を込めて書いたのだ。
 あるていどの思考力や想像力を備えていても、それを日常的に使っていなければ、その能力は知らぬ間に衰える。
 思考する癖をつけていなければ、ひとはすぐに楽なほうに流れて、何も考えなくなっていくのではないかと思うのだ。

 わたしは子供の頃から小心で臆病なので、基本的に他人とぶつかることが苦手だ。
 だから普段は自分の意見をあまり主張しないし、なるべくひとと討論しないで生きてきた。
 表に出さなくとも確固とした自分の主張があって、必要なときにそれをきちんと言葉にできるのならば、問題はないと思う。
 だが、もしかしたらここしばらくのわたしは、そうした主義主張といえるほどの考えを、きちんと持ってはいないのではないか。
 そう気づいてはっとしたのは、つい最近のことだ。

 わたしはここ数年、頭で「考える」ことよりも、心で「感じる」ことのほうを優先させてきた。
 表現者の端くれにしては、わたしは頭で考えることを優先させすぎるきらいがある。
 それは大学出の悪い癖だ、と、やはり大学出の師の一人に指摘され、自分が素直に何を感じるか、どう思うか、好きか嫌いか、楽しいかつまらないか、快いか気持ち悪いか、そういった感覚を大事にするようにと言われて、意識的にそう努めていた。

 もともとの性格の上に、そんなふうに外部よりも自分自身の心の内を見つめることを重視していたことが重なって、わたしはいつのまにか、理論立てて物事を考えるという行為を放棄してしまっていたようだ。

 そう気づいて、わたしはこの日記「ちなの気ままにコラム」を書き始めた。
 日々のニュースやエンタテインメントをきっかけとしていろいろと思考を巡らせ、考えたことを言葉にし、文章としてまとめる、その訓練がわたしには必要だと思ったからである。

 無論、物事に対して素直に「感じる」習慣もなくしてはならないから、考えよりも気持ちを素直に書く日記のほうも、本館「AQUAFIELD PARADISE」で書き綴っている。
 考えることと感じること、その匙加減が難しいところだが、うまくバランスを取りながら、どちらの日記も続けてきたいと思う。


※サイト趣旨変更のため、楽天ブログより転記。(2008/12/15)
 楽天広場のページの開設当初は「気ままにコラム」というタイトルで、こういう文章を書いていました。
 現在の楽天ブログはきもの日記として使用しているので、「気ままにコラム」だった時代の日記をこちらに移しています。

テーマ : 日記 - ジャンル : 日記

PL法と警告文と思考力と想像力

 来月からビールなどの容器に、妊婦や授乳中の母親に対して飲酒が胎児や乳児に悪影響を与える危険性を警告する文章を、メーカーが自主的に表示することになったらしい。
 夕方のニュースでは、胎児のときに母親の飲酒によりアルコールを摂取した状態になると、目・耳・口・鼻・心臓・脳などに障害を持った子供が誕生する恐れがあると伝えていた。

 妊娠中や授乳中の女性がアルコールを摂取するのが良くないことぐらいは一般常識だと思う。
 だが海外では、このような表示を法律で義務づけている国もあるというから、見方によっては、導入が遅すぎると考える向きもあるのかも知れない。

 消費者保護を目的とするPL法(製造物責任法)の施行以来、わたしたちが手にするあらゆる商品の注意書きが煩雑になった。
 警告していないような使用法によって消費者が何らかの被害を受けた場合、製造者がその責任を問われる恐れがあるからだ。
 試しに手近にあった「森永ミルクココアお徳用」のパッケージを見ると、次のような表示がある。

<使用上の注意>
●おいしいココアの香りにひかれて虫が侵入することがあります。開封後は虫害を防ぐためチャックをしっかり閉めて、なるべく冷蔵庫か密封性の良い容器で保管し、お早めにお召し上がりください。
●調理時・飲用時には熱湯でのやけどに十分ご注意ください。
●調理具は清潔なものをご使用ください。

 最初のものはともかく、あとの2つはどう見ても一般常識の範囲だと思うのだが、アメリカでマクドナルドが「コーヒーの温度が高すぎてやけどした」と訴えられて負けたなどという実例があったりするから、念のために警告しておこうということになってしまうのだろう。

 各メーカーが、考えられる危険に対して警告を発するのがいけないとは言わない。
 たまには「ああなるほど。書いてなければ気づかないところだった」と思うこともなくはないからだ。
 しかし、こんなふうに甘やかされて育った現代人が、「自分で考える」ということを日常的に行わなくなることが、怖い気がする。
 最近の風潮として、「禁止されていないことは何をやっても良い」と考える人が増えているのではないかと感じられるのだ。

 電車の中で、「お願い」のアナウンスがあろうとなかろうと平気で携帯電話で会話を続ける若者や、輪になって床にぺたりと座り込んでメイクをしている女子高生たちを見ていると、つくづくそう思う。
 親の顔が見てみたい、と言いたいところだが、その親の世代にも似たようなことをする人が大勢いるから始末に負えない。
 他人の迷惑になるほどの大声で通話をしているのは40代50代の女性であることが多いし、優先席にどっかりと足を広げて座って杖をついた老人が目の前に立っていても寝たふりを続けるのはたいていの場合40代や50代の男性だ。(こういう場合に関しては、実はかえって若者のほうがすっと立って席を譲っていることが多い。)

 マニュアル世代の母親が、我が子の成長度合いが育児書の記述よりちょっとでも遅れているとパニックに陥る、というような話も聞いたことがある。
 核家族化と少子化によって身近に赤ん坊の成長する過程を見ていないことも原因の一つだろうが、何もかも具体的に教えてもらえて当たり前、という環境に育ったことも一員だろう。 

 俳優声優の養成所で、一人一人が順番に実技を行いそれぞれに対して講師がコメントをすというかたちのレッスンの場合に、ほかの生徒の実技やそれに対するコメントにまったく関心を示さない生徒がいる。
 ひとの演技を見ることが勉強になるということにも、講師がその生徒一人に対してだけでなく生徒全体に当てはまるアドバイスをすることもあるということにも、気づかないらしい。

 要するに、あまりに思考力や想像力の欠如した人間が増えすぎているように思うのだ。
 自分が何かを行った場合にその結果がどうなるか、自分に危険が及ばないかだけではなく、誰かに迷惑をかけたり不快な思いをさせたりしないだろうか、ということが考えられない。
 あるいは、誰かが行ったことの結果を目の当たりにしても、それを自分に当てはめて考えてみることができない。
 だからこそ、自分が肥満になったのはマクドナルドのせいだと訴訟を起こすような人間が現れるわけである。(これもアメリカの例でさすがにこれはマクドナルド側が勝ったようだが。)

 つい最近の一時期、「自己責任」という言葉が、最初に用いたときの意味とはやや違った形で一つのキャッチコピーのようにもてはやされ、図らずも、自分で深く考えることをせずに世間の風潮に乗ってしまう日本人の性質を露呈したことがあった。
 自分で考えることをしないから、「みんながいじめている子ならいじめても良い」と言わんばかりに、平気で嫌がらせの電話をかけたり脅迫状を送りつけたりできるのだと思う。
 落ち度があった人間ならば嫌がらせをされても当然、という考え方の異常さに気づかないのは恐ろしいことだ。

 みんながやっているから、マニュアルに書いてあったから、という理由で行動したことに対して、誰が本当に責任をとれるだろうか。
 警告に従うか無視するか、マニュアルを信じてマニュアル通りに行動するかしないか、ということまで含めて自分自身で考えたのでなければ、自分の行動に本当の意味で責任を持つことなどできまい。

 わたしは国語力の低下がそのまま思考力や想像力の低下につながっているのではないかと考えているので、昨今の「日本語ブーム」に少し期待している。
 朗読や漢字に興味を持つ人が増え、世間一般の読書量が増えれば、少しは「自分で考える」能力も上がっていくかも知れない、と。
 日本人が真に成熟した国際人になっていくためにも、なんとか思考力や想像力の低下にせめて歯止めがかかって欲しいと、切に願っている。


※サイト趣旨変更のため、楽天ブログより転記。(2008/12/15)

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『ザ!鉄腕!DASH!!』

 毎週日曜日放送の日本テレビの人気レギュラー番組、『ザ!鉄腕!DASH!!』。
 いまさらここで説明するまでもないかも知れないが、ジャニーズ事務所所属のアイドルグループ「TOKIO」が様々なテーマの実験に、たいていの場合みずから体を張ってチャレンジする番組で、ここ数年の目玉コーナーは「DASH村」である。
 これももともとは日本地図に「DASH」という文字を載せようと「村作り実験」だったのだが、もはや実験という域を超えているような気がする。

 今日の放送では、2年にわたって失敗した瓢箪作りのために畑の土を改良するところから始めようということで、畑に広さ5m×9mで深さ1mの巨大な穴を掘っていた。
 この穴掘りだけでもほかのアイドルならば「罰ゲーム」になりそうな重労働だと思うのだが、TOKIOのメンバーがそれを楽しみながらやっているのが、見ていて気持ちいい。
 彼らが経験豊富な年長者に教えを請うてそれを素直にまじめに実践していくのも、頼りにされ尊敬される年長者が実に生き生きとして幸せそうなのも、微笑ましく、清々しい。

 夫の実家は兼業農家なので、とくに彼らを見守るような視点で、家族全員がこのコーナーを楽しみにしている。
 最初の頃は、
「鍬の持ち方がなってないよね」
「あんな鎌の使い方じゃ刈れないよ」
とツッコミを入れつつ見ていたのが、最近は
「だいぶ農家らしくなってきたねえ」
と感心しているようだ。

 だが、この番組を楽しみにしているのは、何も農家の人間に限らない。
 おおむね視聴率も良く、日本テレビのホームページにおけるアクセスランキングでもトップを維持しているのだから。

 季節の移り変わりにも食べ物の旬にも鈍感になりがちな現代の、とくに都会に住む人間にとっては、この番組は、日本の四季や自然といったものを改めて知る、いい機会なのかも知れない。
 米や麦、野菜や果物がどのように育っていくのか、家というものがどんなふうにできているのか、この番組を見て初めて知った子供たちもいるだろう。

 先日書いた『平成教育委員会』とはまったく違ったタイプだが、これも家族揃って楽しめる良質な番組だと思う。
 こういう番組が日曜の夜に放送されるのは、大変いいことだ。
 ただ一つ残念なのは、野球シーズンになると巨人戦で放送がつぶれがちになることで、もしかしたら巨人戦よりこの番組のほうが視聴率がよいのではなかろうかという気もするのだが、さすがに日本テレビの立場では放送権を持つ巨人戦を放送しないわけにもいかないのだろう。
 なんにせよ、次の放送が待ち遠しい。


※サイト趣旨変更のため、楽天ブログより転記。(2008/12/14)

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上州家電戦争

 家電量販店コジマの宣伝方法について訴えていた同業のヤマダ電機の請求が棄却された、というニュースが今朝の読売新聞に載っていた。

 コジマの本社は栃木県宇都宮市、ヤマダ電機の本社は群馬県前橋市で、どちらも家電量販店の大手だ。
 これに茨城県水戸市が本拠地のケーズデンキも加わって、北関東を中心に熾烈な競争が繰り広げられている。
 ことに群馬県内では攻め込むコジマと迎え撃つヤマダ電機とのあいだの戦いが激化していて、俗に上州家電戦争と言われているくらいなのだ。
 夫の実家が群馬であるため、わたしは比較的その上州家電戦争の恩恵を受けているほうかも知れない。

 コジマは、ポイントカードもあるもののポイント率は低めで、そのぶん販売価格を安くしている、という。
 ヤマダは、販売価格自体も安く、ポイントカードのポイント率も高い、という。
 実際の販売価格はその日そのときによって違うだろうから、より安いのがどちらなのかは、そのときに比べてみなければなんとも言えない。

 あまりに互いを意識しすぎた広告宣伝などにはなんとなく一歩引いてしまうところもあるのだが、競争しあってくれることは、消費者の立場ではありがたいことである。
 2社の店舗を行ったり来たりする根性があれば、
「ヤマダさんはいくらでした」
「コジマさんはいくらになるそうです」
 という形で値引き交渉がしやすいのだ。
 しかも、2社が値引き合戦を繰り広げている結果、ほかの家電量販店の価格も安くなっている。

 ただ、比較のポイントは価格だけではないのも確かだ。

 よく見比べれば、一口に家電量販店と言っても、品揃えの得手不得手のようなものがあるのはすぐにわかるだろう。
 メーカーの保証書に記された保証期間は1年だが、最近は家電量販店独自の保証サービスも充実してきているので、その内容を比較してみるのも面白いと思う。
 消耗品を必要とする家電の場合、その消耗品の品揃えがよい店でポイントをためるほうがあとあと便利、ということもあるかも知れない。

 また、販売員があまりにしつこく説明しようと寄ってくるのも鬱陶しいが、質問したときに要領を得ない答えしか返ってこないのも困る。
 一度きりの買い物でなく、いわば「行きつけ」の家電量販店を決めるつもりであるなら、そういった店員の質によって購入店を選ぶのも一つの手だろう。 
 実のところ、わたしたち夫婦が一番利用しているのは、最終的な価格ではコジマやヤマダ電機に及ばないものの、家電修理サービスに信頼の置けるベイシア電器(本社は群馬県伊勢崎市)であったりするのだから。

 結局「自分が何に重きを置くか」によって、購入店の選び方はまったく違ってくるということで、それは何も家電量販店に限ったことではないし、さらに言えば、何も買い物に限った話でもない。
 安売り合戦に目を奪われがちな今だからこそ、実はわたしたち消費者ひとりひとりの「価値観」が試されているのかも知れない、という気がする。


※サイト趣旨変更のため、楽天ブログより転記。(2008/12/14)

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福田康夫氏、官房長官辞任

 見直した、というのが、最初の感想だった。

 いつも歯切れのいいコメントで存在感を示していた福田官房長官が、閣僚の年金納付状況公開についてだけはすっきりしない返答をしていた時点で、「これはおそらくこの人も……」と思ってはいた。
 そして実際に未納が発覚したときに、やっぱりと思いながら少なからず失望したのだ。

 だが、世論に追いつめられる形ではなく区切りがついたところで自ら官房長官職を辞す、というのは、さすがの切れ者ぶりというべきだろう。
 上州人らしい潔さと政治家としての冷静な状況判断力のなせる技、という気がする。

 もしも先に菅直人氏が民主党代表を辞めていたら、小泉内閣の未納閣僚は全員が窮地に立たされていたに違いない。
 それが、福田氏が先手をとり、しかも、「未納だったからではなく、未納を発表するまでの対応に不手際があり政治不信を増幅させたから」という理由で辞任したことによって、批判の矛先は菅氏のほうへ向いてしまった。

 福田康夫氏の地元は群馬。
 同じ上州人である夫やその周囲の意見を聞いた限りでは、今回の福田氏の決断は好意的に受け止められている。
 上州人にとって「潔さ」は重要なポイントであり、今回の決断によって、いま選挙が行われても福田氏の当選は確実だというのだ。
 もともと保守が強い地域でもあり、福田氏は男を上げた、と評価されているらしい。

 反対に、上州人ではないわたしの目から見てもあきらかに男を下げたのは菅氏で、夫人まで会見に引っ張り出したことは決定的にマイナス方向に働いていると思う。
 民主党内部でも「菅降ろし」の声が強まっているようだ。

 自民党にとっては、菅氏が代表でいてくれるほうが参院選が戦いやすいという事情もあるだろうから、強いて菅氏に代表辞任を迫りはせぬ代わりに、ほかの未納閣僚の問題を曖昧に終結させてしまうのが、望む落としどころなのだろう。

 なまじのドラマよりもよほど面白いこの一幕、どう決着するのか、目を離さずに見守っていたいと思う。


※サイト趣旨変更のため、楽天ブログより転記。(2008/12/14)

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『平成教育委員会2004ピカピカの1年生SP』

 昨日(2004/05/05)夜放送の、フジテレビ系のバラエティ番組である。
 レギュラー放送時代にもよく見ていて、この番組の最後に出題される「宿題」が翌日の朝刊に掲載されるからという理由で産経新聞を購読しようと思った、というくらい、好きな番組だった。
(おかげでわたしはとっくにレギュラー放送が終わった今も産経新聞読者である。)
 今でもこうしてたまにスペシャル番組が作られるのは、スタッフにも思い入れがあるということだろうか。
 だとすれば、番組の1ファンとして素直に嬉しい。

 昨日の番組で見ていて気持ちよかったのは、女優のミムラさんの国語のできが良かったことだ。
 一般的な国語力の低下が問題になっている今、わたしよりざっと一回りは年下のミムラさんが、ごく普通に日本語の一般常識を持っていることが嬉しかったのだ。
 逆に言えば、国会議員の先生方などがろくに漢字も読めないのはどういうわけかと、ちょっと寂しいような腹立たしいような気分にもなった。
 もっとも、そう思うのはわたしが文系の出身で、今も言葉と密接に関わる立場だからかも知れないが。
(理系の研究者であるわたしの夫も、案の定(?)「惚気る」が読めなかった。)

 最近、最新の流行や世相という意味での「一般常識」を問われたり、普通は知るはずのないような事柄についての出題で推理力あるいは問題VTRに対する注意力で試されたりするようなクイズ番組が多い。
 それはそれで面白いのだが、こういう基礎学力をテストされるようなクイズ番組もあっていいと思う。
 一時期ほど「お受験」ということが(表立っては)騒がれなくなった今の状況ではなかなか難しいのかも知れないが、またこの番組をレギュラーで放送してもらえないものかと、つい思ってしまった。


※サイト趣旨変更のため、楽天ブログより転記。(2008/12/14)

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子供の睡眠

 3日に睡眠について書いたばかりのところで、今朝の産経新聞に幼児の睡眠についての記事があった。
 都内の7保育所で2歳児101人を対象に調査した結果、問題行動を起こす幼児の9割以上に、睡眠に関する問題があったというのだ。
 ことに就寝と起床の時間が一定しない幼児に問題行動が多いという。

 最近、夜10時を過ぎたファミリーレストランや居酒屋などで幼児や児童の姿を見ることが珍しくなくなってきた。
 自分が子供の頃には考えられなかったことだけに、あきれると同時に、子供が気の毒になってしまう。
 親は、「誰にも子供を預けられず、自宅に一人きりで放置するわけにもいかないから、連れて歩かざるを得ない」と主張するのかも知れないが、しかし、子供の生活リズムを犠牲にしてまで参加しなければならない集まりのようには、とても見えない場合が多い。
 どちらかといえば、親が自分の楽しみに子供を付き合わせているようなのだ。

 わたしの子供時代、少なくとも小学校低学年のあいだは「午後8時就寝」と決められていて、それを守っていた。
 夜更かしをしてもいいのは、年に一度、大晦日だけだったのだ。
 朝は、父の出勤が早く、それに合わせて家族全員で朝食をとり、うちの外まで出て父を見送っていたので、かなりの早起きだったように記憶している。

 遊び疲れるほどしっかり遊んでいれば子供は放っておいても眠るが、毎日がそうではないから、親も早寝をさせるための工夫をしていたようだ。
 子供が寝る時刻になると、たいていは母が、ときには父が、自分も一緒に横になりながら、「おはなし」をしてくれた。
 自分たちを寝かしつけたあと親はまた起き出すということが分かっていても、一度は一緒に布団に入ってくれなければわたしたち姉弟は納得しなかったことを、よく覚えている。

 その「おはなし」の内容は、わたしたちが小さい頃には、すっかり覚えていて何も見なくても語れるような「桃太郎」「浦島太郎」といった一般的な昔話だったが、少し大きくなるといろいろな本を読んでくれるようになった。
 さらにわたしが成長すると、親は、「今度はお姉ちゃんが読んであげなさい」と、わたしに「妹や弟に本を読んで聞かせる」という仕事を任せてくれた。
 わたしは使命を与えられたことが嬉しくて気分良く妹たちの世話をしたし、妹たちもとくに文句は言わなかったと思う。
 親にとっては、子供に読書に対する興味を植え付けて、ほんのわずかでも自分の時間を持てる、一石二鳥の作戦だったかも知れない。

 わたしが本を読み聞かせる楽しさに目覚めてしまい、うっかり道を踏み外して(?)声優になるところまではさすがの親も計算していなかっただろうが、それはともかく、子供にきちんと早寝早起きの習慣を身につけさせたという一点だけでも、うちの親は偉かった、とつくづく思う。

 そもそも早寝早起きが体によいのは何も子供ばかりのことではない。
 新陳代謝が活発になる夜中の1時から3時に頃にかけて睡眠状態に入っていなければ、成長ホルモンをはじめとする重要なホルモンの分泌が足りなくなる恐れがあるのだ。
 大人も子供も早寝早起きを心がけるに越したことはない。
 ……と、これは、PCに向かうとつい時間を忘れて夜更かしをしてしまう自分への戒めの意味も込めて、書いておく。


※サイト趣旨変更のため、楽天ブログより転記。(2008/12/14)

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カルシウム摂取と骨密度

 一生の骨密度は35歳までに決まってしまう、ということを、わたしは今日はじめて知った。
 35歳くらいまでなら、食事やサプリメントでカルシウムを摂ればそれが骨密度の増加につながるのだが、35歳以降はいくらカルシウムを摂取しても骨のカルシウム濃度は変わらなくなってしまうのだという。(「元気生活」2004年5月号より)

 わたしももう32歳、2ヶ月もすれば33歳になるので、骨密度を上げようと思うならば、あまり時間の猶予がないということになる。
 昨年夏の健康診断の際、同年齢の女性の平均ていどの骨密度があることが判明しているわたしではあるが、その骨密度をさらに上げられるものなら、なるべく上げておくに越したことはないだろう。

 子供の頃、「牛乳はカロリーが高いからあまり飲むな」と母に言われていたので、三つ子の魂なんとやら、わたしは長いあいだ「牛乳は1日200cc摂れば十分」と考えていて、あまり積極的に飲もうとはしなかった。
 低脂肪乳や無脂肪乳というものを知って安心してカルシウム摂取に努めるようになったのは、ここ数年のことである。
 それでもなんとか平均並みの骨密度を保っていられたのは、子供の頃から小魚や煮豆や緑黄色野菜をよく食べる食生活をしていたからだろうか。
 食べ物の好き嫌いがないように育ててくれた母に感謝、である。

 しかし、ここで油断してしまうわけにはいかない。
 女性の骨のカルシウム濃度は、更年期を迎えると急激に減少してしまうのだから。
 十分な骨密度を持つ人もそうでない人も、骨からのカルシウムの減少を抑えるためには、カルシウムを摂取し続ける必要があるのだ。

 筋肉や脂肪のように自分で実感しやすい部分とは違って、普段はあまり気にかけることの少ない「骨の健康」だけに、こうしてアンテナに引っかかってきたときにきちんと肝に銘じて、普段の食生活をチェックするように心がけたいと思う。


※サイト趣旨変更のため、楽天ブログより転記。(2008/12/14)

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睡眠コントロールは難しい

 しばらく前(今年2月)のニュースで、「最適な睡眠時間は7時間」という内容の、日本での研究調査結果が伝えられた。
 もっとも死亡率が低いのは平均睡眠時間が7時間の人々で、多くても少なくても7時間から離れれば離れるほど死亡率が高くなる、というような内容である。
 同様の研究はアメリカでもされていて数年前にニュースとして伝えられていたが、日本人でもそれが当てはまることがはっきりしたわけだ。
 もっとも、人間には個人差というものもあれば、季節や天候や生活状況などによっても必要な睡眠時間は変化するだろうから、杓子定規に7時間にこだわる必要はないと思うが、少なくとも極端に多すぎたり少なすぎたりする睡眠は健康への影響が大きい、ということは確からしい。

 わたし個人の実感としていえば、睡眠時間7時間半のときが、もっとも体調がよいような気がしている。
 レム睡眠とノンレム睡眠の周期が90分であることから、睡眠時間を90分の倍数にすると寝覚めが良い、という説がある。
 この説を知って以来、夜の就寝だけでなく仮眠をとるときにもその時間を意識しているのだが、少なくともわたしにとっては、これが当てはまるらしい。
 7時間で起きるくらいなら6時間で起きるほうが、すっきりとして1日元気に活動できる。
 6時間では足りなさそうな疲労度で、かつ状況が許すときには、目覚まし時計を7時間半後にセットするのだが、この7時間半睡眠のときが、もっとも体調がいいように感じられるのだ。

 本来、体が健康な状態ならば、目覚まし時計も何もなくても、眠れば体が必要なだけの睡眠をとって自然に目覚めるのだろう。
 だが、ストレスの多い現代社会では体も正常な本能が働かず、眠りすぎたり、逆に不眠症気味になったりしている人が多いのではないだろうか。
 また、勤務形態などの事情で、体が必要とする睡眠時間をまとめてとることができない人も少なくないだろう。

 わたし自身、ストレスが溜まっているときには市販の睡眠改善薬に頼らざるを得ないこともある。
 夫の実家で法事などがあれば、仮眠しかとらない状況で自宅と実家を往復することもある。
 それでも、まだ時間が自由になることの多い今の立場だからこそどうにかやっていけているが、これが多忙な身であったらどういうことになるのか、不安を感じてしまう。

 入眠や目覚めをスムーズにするようないろいろな方法を試してはいるのだが、どれも効いたり効かなかったりで、やや決め手に欠ける。
 睡眠のコントロールは、現代人にとっての重要な課題の一つ。
 わたしもまだ、試行錯誤中である。


※サイト趣旨変更のため、楽天ブログより転記。。(2008/12/14)

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国民年金未納問題

 現在は厚生年金に加入する夫の扶養家族となっているため、みずから国民年金を納付する必要はなくなっているわたしも、結婚前は自分で国民年金を納めていた。
 正確に言えば、大学生のときも、大学卒業後にアルバイトで生計を立てながら声優養成所に通っていたときも、ほとんどの年は国民年金の免除申請をしていたのだが、うっかり免除申請をし損なった年の分は、どうにかこうにか無理矢理にでも納めた。

 最初の免除申請はこちらから役所に出向いて行ったように記憶しているが、その後は毎年、役所のほうから免除申請手続きに関する通知が送られてきたし、免除申請も納付も忘れてたままの状態でいると役所のほうから訪ねてきて、申請なり納付なりを促された。
 20歳以上の強制加入が始まったばかりの時期だったからこそ熱心だったのかも知れないし、学生のことのほか多い街(つくば市)だから早め早めに手を打っていたのかも知れない。
 当時はいっそ放っておいて欲しいと思わないわけではなかったが、いま考えてみると親切な話である。
 おかげで、少なくとも「自分が国民年金に加入しているのかどうかわからない」などということにはならずにすんだ。

 免除申請した期間の分は、確か通常の3分の1の金額で計算されるので、きちんと納付した人に比べれば将来もらえる年金の額は減ってしまうのだが、それでも未加入・未納の状態でまったくもらえなくなってしまうよりはよほどいい。
 もしものときの障害年金のこともあるから、やはり国民年金に未加入でいるのはリスクが高すぎる。

 ともかく、自分がそういう経験をしていたので、閣僚や国会議員で多くの未加入・未納の事例があったことには、いささか驚いた。
 一介の学生やフリーターになら督促できても、議員のセンセイには督促しづらいということか? と勘繰りたくもなるではないか。

 センセイ方の未加入・未納例が相次いだおかげで(?)制度に何かと不備があることは明らかになったはずであるから、今後はぜひともこの不祥事を制度改正に役立ててほしいものである。
 そのためにはわたしたち国民も、ひとしきり騒ぎ立てたあとあっさり忘れてしまうのではなく、この問題に関心を持ち続け、監視を続けなくてはなるまい。


※サイト趣旨変更のため、楽天ブログより転記。(2008/12/14)

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健康増進法1年

 「受動喫煙」被害防止に関する内容が盛り込まれた「健康増進法」が施行されて、今日で1年になる。

 昨年の施行をきっかけに店内全面禁煙に踏み切った飲食店があって、煙が苦手なわたしは喜んで利用していたのだが、数ヶ月で喫煙席もある普通の店に戻ってしまった。
 あるていどお酒も出すような定食の店だっただけに利用客の要望が強かったのだろうが、わたしにとっては残念なことだった。

 喉が商売道具であるにもかかわらず、わたしの喉はそれほど丈夫なほうではない。
 外出にはマスクと携帯用吸入器と喉飴と喉スプレーを持ち歩き、帰宅したあとのうがい手洗いを欠かさず、必要なときにはプロポリスを摂取し、就寝時には首にタオルを巻き付ける、などという努力して、喉の健康状態を維持しているのだ。
 そのわたしにとっては、タバコの煙は天敵である。
 もちろん単に、煙たい、匂いがつく、目にしみる、という理由で嫌ってもいるのだが。

 愛煙家の方がタバコを吸う権利を否定するつもりはさらさら無い。
 ただ、愛煙家にとっては、路上喫煙を禁止する自治体が出てきたり、各鉄道会社の駅において全面禁煙が実施されたりという昨今の情勢は、非常に風当たりの強いものに感じられるかも知れないが、嫌煙家にとってみれば、これまでがあまりに野放しに過ぎたのだ。
 喫煙者の権利に比べて、受動喫煙をさせられずにすむ非喫煙者の権利のほうは、現時点でもまだまだ軽んじられているように思われる。

 路上喫煙に対して罰則を設けている自治体は、数少ない。
 交差点の信号待ちで煙を吸わされて咳き込むような経験を頻繁にせずにすむ日常を望むのは、なにも贅沢なことではないと思うのだが、これは嫌煙家のわがままなのだろうか?


※サイト趣旨変更のため、楽天ブログより転記。(2008/12/14)

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